学生時代に見た動画を、久しぶりに見返してみる。
と、この動画は本質をついていたように今だに思うわけですね。
「結局こういうサービス業(寿司職人)って、自己満じゃだめで、お客さんの満足を満たしてなんぼ。
厳しい修行した方がいいものを作れるわけではなくて、いいものを作ろうとするから、いいものを作れると思うんですよね。」
と穂積先生は動画内で語っていて
「(寿司アカデミーは)教育手法の発達を表している素晴らしいこと。」
と強調していた。
こういった事象になぞらえて、医者のガイドラインについても触れていたわけですが、
この動画を見返して改めて感じたことは以下でして。
・穂積先生は技術職は一定経過年数を経ることを算段に入れて、あえてその道を選ばなかったんだろうなあということ
・新しい教育手法の発展を仕事として進め、自分で作った穂積先生はすごいなあと思うし、こういう生き方もありということ。
・凄いしありではあるが、実施側(医者)の方が社会的地位は高いというやや逆説のようなものがあること。
・技術職は「学習」スパンがとても長く、医者はそのスパンがかなり長い類の仕事であること。
・技術職は一度その学習レールにのると人生の大きい割合がそれで消費する可能性があること。
・超長期間の時間をあるものに費やすことに自分が本能的に恐怖を感じる類の人間であったこと。
・経営者や人を使う側の仕事は、その修行に費やす一塊の時間をスルーできるということ。
などなど。
なんか信奉者みたいな文もあるけど。
まあ〜でも当時医学部5年生ぐらいかな?
の時に、この動画で言っているような発想に触れさせて
かつ、確信させてくれたのは
感謝しかなかったんだよねえ。
しかし、社会に出て医者をして気づくことは
「そんなもんどうだっていい」
というぐらい皆効率だとかシステムについて
語る機会がないということ。
どうしようもないということ。
レールに一度乗ってしまうと、後はもうどうでもよくなってしまうというのもあるかもしれないな。
レールに乗った後は己を鼓舞しながら、いいところを見ながらやっていくだけ。
そうしていくと、忍耐力は備わっていく。
しかし、一方で効率やシステム改善についての
視点は日々の生活や診療の中で
失っていくし、どうでもよくなっていく。
これはある意味で、怖いことなのだと僕は今だに認識している。
僕は多大な時間が消費する、非効率な時間を過ごすということ自体に、
本能的な恐怖を今だに拭いきれない。
その「どうでもよくなっていく」前の、学生の段階で
こうやって、動画で啓発していく人の存在がありがたいなとは思った。
だからいまだにこの動画を見て共感するのかもしれないなぁ。