ふと、救急系の業務とそれ以外の業務について考えてみる。
そんな記事。
いまさらな感じはあるが救命て
・破れた(Rupture)
・詰まった(Embolism)
・炎症が起きた(Inflammation)
かなりざっくり言うと、結局この三つを焦点としている。
この三つを解決やら、予防やら、スクリーニングやらしてArrestから遠ざけるようアプローチする業務だと解釈するようになってきた。
国家試験で遥か前に教わったけど、まさしくそうだったんだなあと。
criticalな状態から逆算された予防・治療のアルゴリズム、思考経路というのは
わりとシンプルめで、決着が早々につきやすい。
つまり、話がまとまりやすい。
その疾患単体で見れば診療期間がショートスパン。
救命色が多分に含まれる診療行為・科は
基本行ったり来たりや手先を使う肉体行使が多く、一見長期的な継続が困難なように見えるが
「内容自体は実はそんなに大変じゃない」という彼らの言い分は
この診療内容のシンプルさと、それに伴う目に見える成果なんだろうなと。
pitfallを押さえながら、自分の頭の中にできた診療プロトコルを瞬時になぞる。
診療や学習を重ねれば重ねるほど、プロトコル中の選択肢は増え
波風立たず、なぞる速度は上がっていく。
これを快感に思う人はまぁ少なくないであろう。
逆に、救命から遠ざかれば遠ざかるほど
診断の複雑さもあれば、個々の症例の社会的背景など、明瞭なプロトコルとは遠い世界に入り込むことになる。
内科やマイナー診療、即ち専門性が高く、肉体行使が少ない領域に、これは多い気がする。
肉体行使が多い診療に比べ緩く見えるこれらの診療を
実際に覗いた時にまた感じる困難さ、
そのギャップはこういうところにあるのかもしれない。
・破れた(Rupture)
・詰まった(Embolism)
・炎症が起きた(Inflammation)
以外、または含んだ枝分かれが非常に多いのである。
分岐を探るという、途方のない活動を永遠に繰り返す、また種類の違うエネルギーが要る。
結果もすぐにわかるものばかりでもないし、
手順に関しても一部アルゴリズムが明確なものもあるかもしれないが、それだけで説明がつくものばかりでない。
机上での操作が多いため、知的労働ばかりで疲労は少ないかと言えば、そうでもなく。
救命色が強い仕事と対極の仕事、これらはわりと別物で
どちらを楽しいかと感じるかは
「シンプルだけどハードワーク」
「ハードワークじゃないけど複雑」
この二つに切り込んでいった際の「解決した」「診断がついた」などの報酬系がその医者にとって、刺激されるかどうかにあると思う。
どっちも楽しいけども、
人生や仕事において長く扱うものや携わるものは何か?
知識と自分の肉体、人との関係である。
知識も体もブラッシュアップは可能で、手入れによっては長く使うことは可能である。
しかし、肉体の方は限界を迎えてしまう。
幅広く世間の仕事を見、医業をサービスの一つと捉えた時
医者という仕事の、特異度が比較的高いと言える長所は
①科学的な知見や統計を精度高く用いることで、サービス提供において人に損害を与える割合を低くできる
②最も日常を侵害し得る、病気という人の問題を解決する
③病気はなくならないので仕事がなくなる心配が基本ない⇔金銭面で困窮する恐れが初期の時点でない
等にあると思う。
以前はなんて非効率で保守的な、仕方のない組織なんだと絶望していた。
依然として、ロバートキヨサキが言うクワドラントで勤務医は「E」に該当する。
しかし良いところに焦点を当てると、これはこれで人を長期的にメリットを提供できる、かつ、金銭の面にとらわれることが少ない幸福度が高い仕事なのかもしれない
そう思うようになった。
ただ、体を消耗する方を選んだ時
②長く活動できること
この長所を相対的にではあるが失うという選択をすることになる。
長く活動している医者がいること、これは治療を受ける側にとっても悪い話ではない。
医者としての活動期間はその人の技術や知識をある程度は担保するのだから。
じゃあ体が消耗しずらい方を選ぶべきなのかと言われると、これもなかなか。
相性というものがある。