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127.30年後のSNSの未来、そして医者

マツキです。

 

「30年後、SNSという発明は果たしてどうなるのか?」

 

という、激しくどうでもいいテーマです。

 

どうでもいいかも知れませんが、今やSNSの使用率とは普及率から見ても国際的にもだいぶ高そうで

 

もはや社会の窓口のようなものになっていると考えます。

 

そしてスマートフォンは、その「物理的」な入り口、で

 

ニュースや社会状態の早期のチェック、遠くにいる人達と新たな関係を結んだり、ビジネスをしたり様々なことに役立っています。

 

また、車のように今後さまざまな機能が多角的に付加される可能性もあります。

 

SNSはそう考えるともう流行に乗った一過性のサービスではなく

 

その汎用性や今後の拡張性を踏まえると、もう発明と言ってもいいレベルなのではないでしょうか。

 

そんなSNSという発明品は果たして今後どうなっていくのか?

 

未来予想的な記事を書いてみました。

 

僕が思うSNSの2つの未来

 

①消滅に向かうパターン

 

②法規制等が入り、より社会に溶け込み仮想現実っぽくなっているパターン

 

この二つのパターンを予想します。

 

①消滅に向かうパターン

 

SNSがそもそも消滅する可能性があると、僕は思います。

 

それはサービスとして禁止され、利用することがなくなるという意味です。

 

SNSユーザーの最大多数の最大幸福

 

「おい発明とかさっきぬかしてたじゃねーか」と言われるかもですが

 

そもそも問いかけてみたいです。

 

僕たちはSNSを使いこなせていると言えるのでしょうか?

 

SNSの使用によって、ユーザーの大多数の幸福度は上がったのでしょうか?

 

僕の答えはですけど、「NO」です。

 

多くのユーザーにとってSNSは感情のアップダウンを増やす装置となり得ますが

 

消費した時間分、ポジティブな感情や生産性のある行動を誘起しているわけではないように思います。

 

どのサービスにも言えることですが、光と影があります。

 

冒頭で述べた、SNSの機能的な面、可能にした点、そこは純粋な光の部分です。

 

そして、「参入者フリー」「規制なし」という条件でできた副産物に少し影の部分があります。

 

僕にはどうも、この光よりも影の方が大きく見えるのです。

 

関係性の希薄化

 

ひとつ、現実社会への影響、特に「関係性の希薄化」という内容について少し触れてみます。

 

簡単に言うと

 

SNS・インターネットでいろんなモノ・ヒトを代替することができるようになった、しかし

 

「代替可能」であるということは便利である一方、

 

物事の関係性をとても脆弱にする可能性も増えたのでは?という観点です。

 

代替性と現代

 

この「代替性」というのがキーです。

 

例えば、SNSによって、人に会うこともできますし、商品を買うこともできますし

 

ネットショップも作ることもできますし、求人すら可能となりました。

 

インターネット上での選択肢というものはより一層豊かになり、選択肢を作ることもわりと簡単になってきています。

 

これと並行して、代替性というのはどんどん上昇していっているように思いますが

 

 

代替可能という後ろ盾が非常に厚くなった分

 

ヒトやモノに対して、特定の一つのものに固執する必要がなくなったという見方です。

 

本来コミュニティや関係性を強固にすることで「信頼」を生み出してきたわけで、それが不安の解消にもなっていたとも思います

 

しかし、選択肢が増え代替が簡単になったことで、関係が希薄になり、かえって自分の足場をガタつかせてしまうー。

 

長期的な関係への意識が欠如する。

 

モノに対しても

ヒトに対しても

情報に対しても

 

皮肉にも、そう誘導するシステムの一つにも見えなくないと考えるわけです。

 

代替性と幸福度

 

どんなに代替ができても、関係性を大切にする姿勢がなければ、不安の無限ループに陥る可能性が高まります。

 

ヒトとヒトを比べる分母が増えた分、1人1人への比重は下がっていき

 

無責任な誹謗中傷、無責任な搾取ビジネス、そういったことにも発展している気もします。

 

「別にこのコミュニティが合わなかったらすぐ変えることができる」という考えは一見柔軟に見える一方で

 

安定したコミュニティの形成をむしろ難しくさせ、長期的には幸福度を低下させる一因にもなっている。

 

そんなふうに思うわけです。

 

規則のない遊泳や渡航は安全か?

 

他にもたくさんの「あぶなっかしい」点があります。

  • ユーザー層が限定的である可能性
  • ビジネス参入者達との干渉頻度
  • 無自覚に間違った知識共有
  • 時系列における断片的な情報、発信側と受信側のズレ
  • 不安の助長

 

こういったデメリットを上回り、利用時間の分、人の行動選択に良い影響を与えるでしょうか?

 

烏合の衆化した大衆メディアの海、

 

その中にはサメもいれば汚水も垂れ流されれば、

 

釣り人が垂らした針もある。

 

エコーチェンバー現象のように、不安を増長させる効果もある。

 

いわゆるなんでもありの、無法地帯です。

 

加えて、発信者側が意図していないメッセージを受信者側を受け取っているケースもわりと多いんじゃないかなぁと思っています。

 

これは、発信者の意図か否かに関わらず

 

  • 時系列において断片的情報を選択できること
  • かつ、人の思考は必ずしも長い間を通して一貫していないこと
  • そして、表示した情報は撤回可能であること

 

このあたりから、そもそも意思や情報の伝達において誤解を招きやすい、結果的にあまり適していないシステムなのだと思います。

 

 

故に一見ただの発言自由なネットコミュニティと思われるTwitterなどのサービスは

 

「参入障壁フリー」という条件が生み出してしまった危険な海でもあると今のところは思います。

 

ここで、このサービス内でより取り上げてはいけないテーマとは、健康や行政、金融、生き方といった生活に関わる「真剣な話題」です。

 

こういったテーマは一つ一つの情報伝達に本来正確さや責任が伴うべきだからです。

 

誤解やディスコミュニケーションを招きやすいこのサービスで、よくこういったことに対して途方もない討論されたりしているのは

 

そもそもサービス内の話題として適していない可能性があるような気もします。

 

 

そして、ビジネス商品とは悲しいことに

 

マスをしっちゃかめっちゃかに感情や情報を掻き回して

 

ギミックを複雑にし、カオスにした方がマネーポイントの作成という観点で儲かるのです。

 

そして、真剣な話題ほど感情が色濃く絡むので、ビジネスとしては真剣な話題というのはマナーポイントは多分に含まれます。

 

だから、カオスな今の状態の方が放っておいた方が儲かるというのは事実ですが

 

しかし、そんな状態は果たして「健全である」と言えるでしょうか?

 

この解答も僕は「NO」です。

 

そんなプラットフォームが今のまま末長く続いていくとは僕は到底思えないのです。

 

上で挙げた

 

健康、金融、生き方、政治

 

並べてみるとこれらは現実社会でも今まで大きくお金が動く領域であることに気がつきます。

 

いつの世も人の真剣な悩みというのはあまり変わらず

 

そのテーマを扱うプラットフォームが現実からインターネット社会へ移行しつつあるだけなのです。

 

ただ、現実社会というプラットフォームは消すことはできませんが

 

インターネット上のプラットフォームなら変更が可能です。

 

したがって、縮小もしくは淘汰されるの①のパターンが有り得そうだなーと思うわけですね。

 

②のパターン

 

②のパターンについては、規制が入るパターンです。

 

冒頭で触れたようにSNSやインターネットは多くのことを可能にしたと言えます。

 

なので、廃止するのはそれはそれでいかがか?と。

 

インターネット社会を現実社会に即して考えると、

 

無法地帯を無法地帯たらしめているのは規則やある程度の秩序の欠如です。

 

サービス自体はその良さを拡張していく一方で、

 

現実社会で言う警察のようなネットポリスが出来上がり、規制が明確になっていく。

 

そんな未来もあり得そうだなと思うわけです。

 

こうなると、よりインターネット空間が仮想現実に近いような雰囲気が出ますね。

 

マトリックスのような世界です。

 

代替可能社会と医者

 

ここでちょっと、医者の話もずらしてしてみます。

 

この記事で言う、代替可能さは医者にももちろん当てはまります。

 

医者がインターネット上でこれほどまでに円滑に仕事をとってこれるようになったと言うのは、今でも思いますが、本当に凄いことなのであろうと思います。

 

これが何をもたらしたかと言うと

 

生存におけるセーフティネットの形成

 

 

そこから生まれる医療のボランティア化

 

と僕は思います。

 

  • 医局で名を上げる
  • 診療における武器を鍛える

 

そういった発想起点の診療科選択であったり、キャリア選択は

 

 

「そもそも仕事を組織内、あるいは近辺の関係性を通してとってこなくちゃいけなかったから」と言う前提な気がします。

 

 

その枠が、外れました。

 

なんなら医者は、医者らしい仕事をしなくても、まあまあ生きていける、そんなこともできるようになりました。

 

つまり、大義名分を掲げなければという条件付きですが

 

診療科選択やキャリア選択の際に

 

「自分はこの診療科でこういった分野を鍛えよう」

 

「こういった診療をしよう」

 

という発想はもはや自己実現のためでしかないのです。

 

これは、すごいことです。

 

「生きていくために」「世の中を渡り歩いていくために」という発想ではなくなってしまってきている可能性が高いとも言えるのです。

 

つまり、医者の医療参入とは大義名分を掲げなければ

 

自己実現もしくはボランティアである

 

そんなふうに考えることも、できそうです。

 

僕は今でもこの事実に感動し、インターネットが世の中をダイナミックに変えていっている印象を日々確かに受けているのです。

 

まとめ

 

長くなりそうなので、今回はここまでに。

 

最後らへんもはやSNSの話というより、インターネットの話になってしまいました笑

 

いずれにせよ、僕はSNSは30年後今のままの姿では全くないだろうなあという予感がするのですね。

 

どうでしょう、読者の方はSNSの利用は幸福度を上げると考える「より」でしょうか。

 

それとも、利用しない方がいい「より」の発想でしょうか?

 

 

 

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