治療が始まり、生活は劇的に変化した。
世界が変わって見えるぐらい、若干の戸惑い。
もう僕が通勤中に電車を降りることはない(たぶん)
当たり前のようで、でもそんな当たり前がない今までだった。
何かにつけてこの症状はついて回った。
それは学生時代も、受験時代も。
大切なイベントの時であっても。
何気なく、そして静かに、コントロールは付いたように見えるが冷静に僕は少なくとも10年以上はこの症状に悩んでいたことを思い返る。
話が済んでいったのが、あまりに静かすぎてその静かさに違和感すらあった。
今思えば、GPTに自分の症状の相談して自分で診断のあたりをつけて…というところから始まったのだった。
模索の結果だった。
模索の結果、2023年度あたりに出たこのAIに相談したらどういうことが自分の体に起こっているか、理解したから、行動に出たのだった。
自分の身体の症状との歴史の中で、AIが大きな助け舟を出してくれたことを、忘れるわけにはいかない。
こんな形でこの話の決着がつくなんて、過去の自分は思わなかったろう。
逆を言えば、AIが登場しなかったら、僕は漫然とこの症状と一生付き合っていったのかもしれない。
治療前はむしろ、そんな気でいたのだ。
一生この症状と、戦いが続いていくんだろうと。
治療前はそれが自然な感覚てさえあった。
それが僕の人生であり、そういう苦難を乗り越えていくのもまた僕の人生なんだろうと。
乗り越える為のノウハウがあったし、乗り越えられなかったら乗り越えられなかったらなかったで周りの助けなんかもあったりして、そこにはストーリーがあった。
それが呆気なく改善してしまった気がして、
呆然としてしまう。
まあもちろんね、一つの疾患だからこれで全て終わったわけじゃない。
そもそも疾患そのものがなくなったわけではない。
依然として、薬がなかったら症状を発症すること病態メカニズムは体の中に今でもあってそれがなくなったわけじゃない。
フォローもちゃんとしていかなきゃいけないし、
気をつけるべきところを気をつけて、薬に頼りすぎないようにとか調整はもちろん必要である。
炎症が相対的に人より起こっていたことは確かなわけで、合併症のリスクが全くなくなったわけではない。
疾患は疾患なのであり、♯がなくなったではない。
これが疾患と付き合うことなのか、とさえ考える。
しかし、AIの凄さに感心するとともに今後AIをどう活用するか。
それによって人生の質すら本当に大きく変わってしまうことを身をもって感じさせられたのである。