こんにちわ、フリーランスのマツキです。
考え事で1日終わったこと人生で何回もあります。
今回のテーマは「『考えすぎ』からの脱出方法」です。
こんな悩みに応えます。
【結論】熟考は時間の無駄です。
意味ないですね。30年生きて悟りました。
考えすぎはむしろ毒である
深い思考というのは役に立ちそうで、実のところあんまり役に立たないです。
行動が伴っていないので、非現実的な思考になりがちだからですね。
もし役に立つ発想があったとしても行動が伴っていなければ、現実化しようとする動きにもつながりません。
無駄に(?)思考に費やした経歴
ちなみにですが、僕は放っておけば、多分6時間とかぶっ通しで物事を考えたりします。
隙あらば「これってこういうことなんじゃないかな」とか本質を考えて、外部で仕事をする時は「思慮深いね」と褒められて嬉しかったりもしたのですが…
人生を通して「熟考しすぎるのはむしろ人生の幸福度を下げてしまう危険な行為」という結論に至りました。
行動していないから意味なし
どんなに深い考えをしたところで、自分が理想の暮らしに近づいたり、何かがよりよくなっていく気配はないからです。
何かが身につくということもまた、ありません。
そりゃそうですよね、だって「考えただけでは何も起きない」んですから。
そして、時間だけが過ぎていきます。
考えすぎの根本にある、二つの問題
こういう人もいるかもしれません。
そうですね。問題は、考えすぎるっていうのは「癖でやっちゃうところ」なんですよね。
そしてもう一つは「考えている時間が長すぎる」ことです。
大事なので箇条書きにします。
・癖でやってしまうところ
・まずいのは思考の時間が長くなりがちなところ
この二つが問題です。
考えすぎや熟考癖の解消方法
ということで、このふたつの問題にアプローチする解消法を作ってみました。
下記は、自分が長年悩みながら開発したので少し信頼性はあると思います。
まずイメージを変えよう。
まず、なぜついつい癖でやってしまうかというと、深く考える自分は意外と悪くないと思っているからじゃないでしょうか。
考えがちな人は「自分が考えすぎな人間」である自覚がない可能性もあります。
こういった場合、そもそも「熟考=思慮深い、いいこと」というイメージから離れた方がいいと思います。
もちろん、考え事をする時があってもいいかもしれませんが・・・たまに行うぐらいがちょうどいいです。
何度も否定的な言い方になってしまいますが・・・
日常的に何度も考え事をしても、生産性もないですし、自分にとっても結局何も生まれません。
今現在取り組んでいることを書き出してみよう
そして、今やりたいことや取り組んでいることを明確化するために紙に横並びに書き出して箱で囲んでみましょう。
そして、その列の横に「熟考」という箱も作っておきます。
こうやって視覚化しておきます。これは後で使います。
思考している時間を計ろう
思考に費やしている時間を計って、客観的に数字でみてみましょう。
自分が「熟考の時間に入ったな」と感じたら、そこからタイマーで計ります。
そして1日の終わりに、その合計時間を振り返ってみてください。
そして、その時間は何か自分のためや社会のためになっただろうか?と振り返ってみてください。
大事なのは可視化すること
大事なのは文字や数字やらに書き出して目に見える形にすることです。
最初に書き出した箱の内容を見て、自分のリソースがどの程度その箱に分散されているか確認もしてみましょう。
最初に作った「熟考」の箱へのリソースが減っていくと「まあよくなったのかな」というぐらいです。
こうやって改善していけば、次第に生産性が上がります。
計測にはできるだけシンプルなものを選ぼう
ちなみに時間の計測するにはストップウォッチが必要ですよね。
それも、簡単・気軽に計測できるアクセスが準備されているべきです。
例えば「スイッチを入れたらストップウォッチ画面」とかです。
習慣もしやすくなります。
HUAWEIのスマートウォッチがいい
個人的に本気でこの癖をなおしたいなら、色々調べたところ9000円弱のHUAWEIのスマートウォッチがよさそうです。
だいぶシンプルな構造ですし、身につけることですぐ記録することができます。
加えて、スマートウォッチにしては手の届きやすい価格ですしね。
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iPhoneの「時計」アプリでいいかもですが・・・
お金を払う必要ある?という人は、iPhoneの備え付けの「時計」アプリで十分役割は果たせます。
ただ、iPhoneだとどうしても誤操作やアクセスが多少増えますし、何より気が散りやすいデバイスです。
人生で染み付いた「熟考すぎる」という癖を本気で脱却して、時間をもっと生産的に使いたいことを望むのであれば
わりと本腰入れた対策の方が、あとあと自分のためになるかもしれませんね。
記事の終わりに
いかがだったでしょうか?
熟考で必要以上に苦しむ人が減ることを祈っています。
それでは。
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