身を置くスペースに関する、ちょっとした概念的なメモ。
最近はマスの世界というものから極力身を遠ざけ、目の前のことに実直に、クローズドなコミュニティを大切にしながら生活している。
そうやって過ごしていると、インターネットやSNS、これらによって無限に拡張されたオープンなコミュニティとはなんだったのか?と考えることが少しある。
僕はもうこういった無機質で虚像のようなことが、うんと嫌いになった…というか、生理的に離れたくなるようなってしまった…というか、脳内に留めておくことにもはや意味すら感じない…というか。
TikTokとかね、ユーモアという観点では面白いけどね。
かつて(今も?)、誰とでも繋がれるという意味でコミュニティというものがインターネット世界に拡張され、世の中は「よりオープンっぽくなった」ように見えた。
しかし、
クローズドスペースやクローズドコミュニティというのが価値を失ったわけではないと思われる。
というかむしろ、オープンコミュニティが拡張してしまったからこそ、価値は上がってきているような印象さえある。
クローズドなものというのはクローズドであるから密度が高く、そして効率がよく、クローズドにいる人からその価値を与えられている。
で、だからこそクローズドのコミュニティはたぶん、オープンコミュニティに出てこない、あんまり好きじゃないんじゃないかな、となんとなく予想。
僕の場合は、そっちの方が集中できるし、目の前のことを大切にできるから、そうしているんだけども。
何事もオープンになればなるほど、カオスになるし、複雑化する。
そうなると思考はまとまらなくなるし、一つ一つの行為が浅くなって、行動の密度が下がる。
オープンであると一見豊かそうに見えるし、可能性は無限のように見えるのですよ。
でも、かえって効率が悪くなるというのはなんかパラドックスっぽい。
インターネットをとってみると、オープンに見え、身近にあり、まるで世の中全部を写しているかのように錯覚するのだけれど、そうじゃない世界の人たちも当然だけどいる。
自分のこと指しているわけじゃないけど、その人たちはそのコミュニティ内から意図的に出てこない。
出るメリットがあんまりないことを知っている。
そんな感じ。