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「ドロップアウト」という表現の気持ち悪さ

 

久方ぶりに地元に帰った時の話

 

知人の外科医と飲んだのだけれど、実は数年前に「ドロップアウト」していたと飲みながら打ち明けてくれた。

 

今では、元気にやっているようだけども。

 

理由としては、執刀中のかなりのパワハラであり、聞いていて絶句してしまった。
(内容はここでは言えるようなものではない)

 

そんなおっそろしい言葉吐かれるのが現代でもあるんだと驚くとともに、ドロップアウトという言葉にすごく違和感があることに気がつく。

 

彼が一時的に働くことができなくなっていたことは他の医師たちも周囲の事実だったし、「〇〇はあの件でドロップアウトしたから…」と表現していた。

 

過度なパワハラ上司による一時的な退職は果たしてドロップアウトと言えるのであろうか?

 

では、パワハラをなんとかして解消する,やり過ごすことが正常な道だったのだろうか。

 

術中の外科医同士のコミュニケーションはあれは、同じ空間に強制的に身を置いているため、回避することはかなり困難である。

 

非常にクローズドなコミュニケーションなのだ。

 

だから、上司が悪い意味できついと相当にきついと思う。

 

ドロップアウトしてしまったというよりも、自己防衛のため休むことを選ぶというのは主体的な選択であり、仕事をする上で自然な回避方法ではないだろうか・・・。

 

僕自身も、臨床能力こそ高いけれどパワハラ系の上司にあたってしまったことはある。

 

だから、少し自分の身になって考えてしまった。

 

ドロップアウトのような現実を本当に直視しているのかいないのか、的を得る気がないような言葉も医療者同士では語られるようなったし、、それとは無関係のように専攻医の自殺も最近また報じられた。

 

 

ある程度まともに診療するようにはなったが、やっぱりドロップアウトという言葉はどこか気持ちが悪い。

 

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