マツキです👨人間不信ですが、わりとポジティブに人間不信さを利用してます。
記事のテーマは「何か挑戦してきたいなら騙されることはセット」という内容です。
むしろ、何か大きなことをやるなら騙されることを受け入れた方がいい
という話をしていきます。
ちょっと怖い内容も入っているかもしれません。
基本的に世の中は騙し、騙されで出来ている
いきなりびっくりするようなこと言いますが、ちょっと前提的なところを考えてみます。
まず悲しいかな基本的に世の中は騙し合い、化かし合いで構成されていると僕はぼんやりと確信しています。
そして、社会的に多くを得る人は騙す能力が長けている傾向があります。
以下、例を出しながら説明していきます。
メラビアンの法則
ある一つの法則、メラビアンの法則というものを取り上げてみます。
メラビアンの法則とは
人の印象は話す内容よりも視覚的な情報を主とした非言語的な情報(non_varbal)によって形成されやすい
という非常に簡単な法則です。
めちゃくちゃ簡単にいうと人の印象は見た目で決まるということです。
メラビアンの法則はみんな使っている
意図しているかは関わらず、この法則を利用している人が、世の中には多数います。
というか程度の差はあれ、みんな使っているのです。
それはこの法則を用いることによって、人の印象をコントロールすることができるからです。
例えば、好きな人に良い印象を持ってもらいたいとき少しオシャレしますよね。
また、どこか良いレストランに行くとき、少し良い洋服を着ていくはず。
これは外見によって信頼や良く思われたいと言う気持ちが働くからです。
すごく簡単にですが、こういう感じです。
しかし人は見かけによらない
しかし一方で、人は見かけによらないという事実があります。
確かに外見や表情はその人を表す参考材料になります。
その一方で結局は「人は見かけによらない」というのもまた真実ではないでしょうか。
なぜなら、意図して外見を作ることというのもまた容易だからです。
【大前提】基本的に人は騙されやすい
そして、メラビアンの法則が一般的に当てはまるのであれば
人は本来簡単に騙されやすい性質を持っていると言えます。
なぜなら、上でも書いた通り他者が誘導したい印象に見た目を画策することは簡単だから。
また簡単な例を出してみます。
ボロボロの服を着たお金持ち
例えば、すごいお金持ちがホームレスのようなボロボロの服で歩いていたとします。
普通の人だったら「うわ、不衛生な人だな」「あまり関わらない方がいいな」という印象をもつでしょう。
でも、このお金持ちの人がした行動は、「ボロボロの服を選び、着た」それだけです。
それだけで、人の印象をコントロールすることができるのです。
その逆も然り。
人の印象をコントロール≒擬態ですよね
故に、その人の中身が本来とは違う外側を意図的に表せるという点で
人の印象をコントロールすることと人を騙していることは近しいものがあると思うのです。
良く悪くも騙し合いが世の常
- 人の本来騙されやすいという性質
- 騙す側は容易である事実
悲観論っぽいですが、これが日常的にサイクルし人は人を騙し、騙されを繰り返しながら生きていっています。
メラビアンの例はあくまでひとつの例です。
しかし、さまざまな観点から見ても大なり小なり騙し合いというのが横行しており、良くも悪くもこれが世の常なのです。
良くも悪くも。
社会的強者はどちらか?
ここで「社会的強者」というものを登場させてみます。
権威者やお金持ちがイメージしやすいですね。
では、社会的に強い人というのは、こういった能力が高い方が有利でしょうか?それとも不利でしょうか?
言い換えてみます。
人が騙されやすいという性質を知りつつ、自分は騙しやすいという事実を知った者は
社会的強者の立場で考えると、どういう行動を取るのが得策でしょうか?
答えですが、この能力のベクトルで考えれば、騙す・化ける能力が高い方が世渡りが上手いでしょう。
故に、社会的強者とは「騙す」詐欺師に近い属性を持ち合わせている傾向が高いとも言えるのです。(言い方悪くてホント申し訳ないですけど)
騙す人は少数派
そして、騙す能力が高い人の方が多いでしょうか?少ないでしょうか?
これは能力の偏差を考えれば、能力が高いものの方が少ない。
故に、騙す能力の高い社会的強者の方が割合で言えば少ない、ということになるのです。
社会に当てはめると
この内容を社会の構造におおざっぱに当てはめて考えてみると
世の中は少数の社会的強者による大きな詐欺のもと
多数の相対的社会的弱者が暮らしている構図がある
と考えてみることができるのではないでしょうか?
そして、この構図はどのコミュニティ、ビジネスにも成立するかと思われます。
清廉潔白な仕事も社会も、幻想かも
余談ですが…僕は社会にも仕事にも、清廉潔白なイメージを持っていました。
しかし上記のことを考えると、清廉潔白で、何の汚れもない、全く胡散臭くないビジネスやコミュニティなど存在しないと気づきます。
清廉潔白さを謳っているものの方が逆に胡散臭い。
僕が所属する医者や医療というコミュニティに、そういったイメージを求めることも、ちょっと異常性を感じるのですね、
騙されないということは不可能である
少し脱線してしまいましたが、では騙されないようにすることはできるでしょうか?
基本的に僕は(自分を含め)騙されないということは不可能だと思います。
その理由は人と関われば関わるほど、関わろうとするコミュニティが大きければ大きいほど、騙される頻度も、規模も上がっていくからです。
例外があるなら「何もしないこと」ですが…何もせず生きていくということは人間には出来ません。
結論、どうせ騙されるんだから騙されることを恐れるな。
唯一の例外の「何もしない」という行動を選択すれば、騙されることはありません。
しかし、得ることも何もない。
なにか挑戦をしたいだとか試そうとなるとリスクを勘定してしまいがちが、そもそも騙されないということが「まず無理」なのです。
大事なことですので、もう一度言います。
騙されずに何か物事を成し遂げるのは無理です。
もし何かやっていくなら、「罠だ」とわかっていても、進まなければいけない時があります。
騙されつつ、挑戦するぐらいの気持ちが必要なんだと思います。
小利口が成功できない理由、バカの方が成功者が多い理由など語られていることがありますが
地雷原の中を笑顔で走れるような人の方が成功しやすい理由はここにあるのです。
医療者という失敗やリスクをとことん避けるタイプの人に囲まれる環境にいると、ついつい失敗しない心がけや恥の意識が、心のブレーキになりすぎることが多い様に思います。
ですが
・清廉潔白で何の汚点もないコミュニティとは虚構であり、そんなものは存在しない。
・それを盲信する、体現する、体現を求めることは不健全である
・バカであれ
ということであります。
僕は成功したいとかではないですが、人に騙されながら前に進んでいこうと思います。
それではまた。