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136.人工知能開発に伴い体系学問習熟の必要性は薄くなるか?

 

人工知能と、関係しそうなことについて一言だけ書く。
※後から見返したら全然一言じゃなかった。ご容赦を。

 

こっから、もしかしたら触れる機会多くなるかもしれない。

 

自分の興味の範疇的にそんな気もする。

 

医学生あたりに呼んでほしいような記事。

 

学習段階の省略化

 

 

今の現状で、非専門者目線で具体的に何ができるようになってきているか?振り返ると

 

AIを通して、言語の文章からクリエイティブ作品や機能、データベースから導き出した文章が抽出される。

 

ぐらいに認識ではなかろうか?

 

 

これってどういう段階か?少し深掘りすると

 

一般人目線で考えると、

 

学問体系の習得工程を省略して

一般人が扱え得る、技術やソフトウェアのレベルが上がってきている。

 

と言い換えることができるんじゃないでしょうか。

 

 

この学習段階の省略というのが味噌かな、と思う。

 

 

最近流行りのプログラミングについてなぞらえて例え話をしてみる。

 

僕も少しだけアプリ作成にハマった経験から

 

アプリ開発をする際には大別した以下のような段階があった。

 

あくまでストレートな流れでまとめると

 

①作りたいアプリの決定

②工程や工数の把握

③-1プログラミング言語の学習

③-2扱うファイルやクラスなどの学習や精通

④ ③と同時並行しながら作成

 

昨今の人工知能の発展によりどういうことが可能になってきているのかというと

 

この

 

③-1プログラミング言語の学習

③-2扱うファイルやクラスなどの学習や精通

 

の部分を省略

 

ひいては

 

②工程や工数の把握

 

の部分さえも省略

 

という段階に差し掛かってきているのでは?と思う。

 

 

あくまで個人的な解釈だけど、学習工程をすっ飛ばせるというのは凄いことだと率直に感じる。

 

一回プログラミング言語学んだことあるからわかるけど

 

けっこうめんどくさいっちゃめんどくさいんですよね。

 

あそこの部分も面白いっちゃあ面白いんだけど

 

でも、結局言語習得はアプローチ経路そのものであって表現の本質ではない。

 

英語学習になぞらえると

 

英語頑張って学んだぞとなっても

 

あくまでその目的は「英語を用いたコミュニケーション」であって

 

「英語を学ぶこと単体が面白いな」で留まってしまうのは

 

そこで終わったら話にならない、

 

どっちかというとナンセンスということ。

 

(今じゃあもはや、翻訳機能等がすごく発展してきているので

 

多言語を学ぶ必要すら微妙な気がしてくるが・・・。)

 

 

話を戻して、

 

体系内容の習熟を省略できるということは

 

その体系内容やコード、プログラミング、ソフトウェアこの辺の知識をあまり持たない人がそれらを利用可能になり、アイデアなどを出し拡張していくということ。

 

労力という観点から捉えると、

 

この段階に至るまでのプログラマーの叡智や努力を、

 

何もそこに関して知ってこなかった非専門の人が

 

待っていただけで省略し利用できる

 

という風にも取ることができる。

 

「発明が続出する」時代

 

 

上記の話に関して今の時代を眺めると

 

馬鹿みたいに便利になる「発明品」、

 

その発明される速度が圧倒的に上がっていっている時代だと考えています。

 

控えめに言って凄まじい時代であり

 

身を置いているだけでも感動するような発明品に次々と出会える、そんな時代である。

 

昔は一つ発明品ができるまでにすごい時間がかかった。

 

かつての発明品とは、生活基盤を大きく変えてしまうものだったと思う。

 

でも、今は生活基盤を変えうるものも含めて

 

すごい速度で発明品が出来上がる

 

Googleマップ、SNS、Apple Watch、QR認証、顔認証、翻訳機能、ネットショップ、マッチングシステム、ネットバンク、自動運転、配膳ロボット…

 

明らかにテクノロジーの開発化、実用化の速度が上がってきており

 

いわば「発明品」続出の時代になってきています。

 

AI、人工知能の時代とはそういう時代であるということなのかもです。

 

そんな時代の楽な立ち回り・・・

 

そして、そんな時代の立ち回り・・・

 

それは、はっきりいって

 

「発明品ができるのを待っていた方が確実に楽」

 

だと思います。

 

楽っていうのかな、純粋に何かしら目的達成に比重を置くのであれば、

 

発明品を1から作るのではなく、発明品を利用した方が効率が良いケースが多くなる気がしてならない。

 

AI技術やテクノロジーがますます盛んになってきたからと言って、自分が敢えてAIについて深く習熟する必要はなく

 

AI開発をしていく人(発明品を作るシステムを発明をしていく人)は

 

それが好きな人に任せればいい。

 

まあ、自分自身がプログラミングやそういったものに着手することが「好き」であれば話は別だが。

 

そうではなく、

 

「目的をただ実現したい」

「何らかの表現をしたい」

 

のであれば

 

大きな学習内容のデータベースを

 

頭に理解させ染み込ませて使えるようになるより

 

AIが進化してその過程を習得もしくは、できた生成物を利用する方が

 

実現することの総量や表現量が

 

結果的に多くなる可能性があるんじゃないかな。

 

 

少なからず

 

無闇矢鱈に体系学問にとびこんで習熟する

 

そんなスタイルはちょっと時代遅れな気がしてならない。

 

医学生のCBT

 

医学生の時にCBTという、全国共通のテストがありました。

 

その知識は正直実臨床でそこまで使うか分からなかったので

 

学生同士で

 

「頭の中にUSBを刺せればなあ」

 

なんて皮肉を言うこともあった。

 

あの時ぼやいてたことが、現実になる日もちかいのかもしれない。

 

何回も似たようなこと言うけど、

 

プログラミング業界知識がない人が簡易な言語によってシステム発明することが可能になった場合

 

それまでになんらかの技術習得の工程が必要だったものが

 

一気に省略し得る。

 

 

一次ファイルの詳細を知らなくても二次ファイルを取り扱え得る

今度は、「どんな能力が必要となるだろうか?」というところを考えてみる。

 

これに関しては二次的、三次的なファイルや作品を今まで以上にマクロに取り扱う能力の優先度が高くなってきていると思う。

 

優先度が高いというより上記の経緯を踏まえれば

 

一次ファイル作成に関する習熟に固執する必要や、意義が少なくなってきているように感じる。

 

上記の話からすると

 

一次ファイルの取り扱い方・知識抜きに

 

二次、三次ファイルを取り扱うことができるようになっていると言い換えることもできるのかもしれない。

 

ブログで言うと一から文章を書いたりだとか

 

動画編集なら一から動画撮ったりだとか

 

そうでなく、

 

もともとある作品やファンクションを

 

扱える技能の方が今後は求められる気がしてならない。

 

扱うファイルの対象が「作品そのもの」に拡大してきたというか。

 

そして、それがAIによってそのファイルの中身を知らない人でも扱えるようになっていく。

 

そんな印象を受ける。

 

人類の「効率化」の進歩的に、

 

扱え得るファイルの大きさが拡大していくのは

 

自然なようにも思う。

 

医療というガラパゴスと人工知能

 

一応医療業界の人間なので

 

取り扱え得るファイルの大きさの拡大に伴い

 

医療業界にもメスは入るのだろうか?

 

それとも未だアンタッチャブルゾーンなのだろうか?

 

ということは考える。

 

加速していくAIを見ていると、

 

どうしても、医療業界の省略可能な部位などと

 

対比をしてしまう。

 

一般の人が扱え得るファイルが拡大するということは、問題の解決速度も上がっていくともとれる。

 

 

そんな中、いつまで医療業界は課題が山積みなままなのだろうか?

 

そう思うけれども

 

シンギュラリティが本当に来るのであれば

 

医療の未来はとても明るいのではと僕は思う。

 

なぜなら、今まで時間をかけて学んだ医者特有の

 

超長期間の修行が省略され

 

「患者を治す」

「病気を防ぐ」

 

ということの本質により早く実直に

 

携われるからだ。

 

ただこういった背景を踏まえると、

 

いつまでもガラパゴスで構えている場合でないようにも思う。

 

 

テクノロジーを扱える者が生き残る

 

僕の尊敬する中島聡さんの言葉だ。

 

「テクノロジーを扱える者が生き残る。」

 

確かにそうだと思う。

 

ここでいうテクノロジー、

 

それは二次ファイル、三次ファイル、四次ファイル…のことだ。

 

これらがそもそも生成されていっていることに気を配っているか?

 

世の中は速度を上げて便利になってきており、

 

立ち回りを考え続ける必要がある。

 

これらに気づかず扱えなければ、

 

相対的にどんどん取り残される。

 

 

まぁ、取り残されたとして生きてはいけるんですけどね。

 

しかし、圧倒的に生き方が前時代的になり

 

人と関わるほどに相対的に不利益や負担は感じるだろう。

 

何より、こんなに技術が発展していく中で

 

それに全く焦点を合わせないなんていう生き方は

 

個人的にはもったいない。

 

シンギュラリティ以前の医療業界に身を置くという場合、

 

近未来的に諸々省略され得る時代の中で活動しているということを

 

意識する必要があるかもしれない。

 

そして、その上で自分に合った立ち回りをすべきである。

 

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