暇だからブログを書こう。
ということで、テーマは「グレーな業界と仕事する意味」。
オブラートさをなくすと「反社会的思想の蔓延と仕事をする意味」。
辞退として表すと、とても物騒なテーマに見える。
内容は簡単で、これから反社会的思想を持った人が増加していく可能性があるのでは?という話。
国が沈没していくという背景
背景としては日本という国の、ひいては政府の施策かな、それへの不信感が高まってきているように思うのです。
そして、結構著名な人もおっしゃっていることですが、今後大幅な改善が見込めるとは正直言い難いというのが現状だと思います。
なぜこんなことになってしまったのかの理由はまあ置いときまして。
この国に対する不信感というもの、これに対する表現や煽動がSNSでできるというのがまた問題だと思うのですね。
国に対する不信感を日常的に晒され続けることで、曲がりなりにも不信感を持つ人の数は増えていきます。
そうして、大なり小なり国に抗議するようなコミュニティができる可能性もあります。
ここまでぐらいなら議論が活性化する範疇だと思うので、そんなに悪いことではないと思うのですが。
こういったコミュニティは容易に不健全な方向、反社会的な方向に転じ得るのでは?という話。
実際誤った表現をされているコンテンツも数多くあり、健全とは思えないものもたくさん世に出ているのが現状だと思います。
ビジネスコンテンツのマーケティングも割と加速因子だと思っていて、
一部の有識者やインフルエンサーが発言した不安を煽動する言動箇所だけを切り取って、マーケティング技術によって拡散すれば、一定の視聴は取れるでしょう。
しかし、不安の大きさを助長する作業になります。
必要以上に不安を煽動すること自体も健全とは思えませんし、そういった不安に駆られた人達が倫理的に間違った行動をしていくこと、半反社会的なコミュニティを無意識に作っていることは十分にあり得ると思うのですね。
国がやっていることがおかしいと「思う」「表現する」こと自体は自由かもしれませんが
国や社会全体の秩序を保つ役割をしているのは当然ですが国の政府です。
これらを間接的に破綻させるような動きって、それ即ち反社会的な思想とも言えるのではないでしょうか?
そして、日常的にSNSでそういった思想に曝露されることで視聴者の「社会的-反社会的」の線引きが曖昧に、グレーになっていきます。
一見正論に見せているが実際は虚偽であったり不確か、それでいて、政府批判などをしていた場合などは、割と反社会的な活動にあたるのでないでしょうか?と僕は思っています。
興味深いことにそういったコンテンツがあったとしても、割と視聴者的には好意的な反応が散見されたり、ファンがいたりすることです。
それがそのまま野晒しで放たれている、この現状ってどうなんでしょうね。
今はテレビよりもSNSの時代ですし、基本的に多くの人がSNSを日常的に開いています。
なんなら、場所を選ばず視聴できてしまう分、テレビ世代がテレビを見ていた1日の平均的な時間よりも、SNSを見ている1日の平均時間はもっと長いのかもしれません。
ということは、メディアを見ている時間が長くなり、影響を受ける頻度が上がってきているとも取れます。
そして今、SNSでは圧倒的に個人のコンテンツが多いです。
ということは、政府の活動がどうのという政府側が発信する内容よりも、個人などの間違った発信〜上で挙げたような半反社会的な思想〜に触れる時間の方が多い可能性が高いのではないでしょうか。
まあ、ここまでが「反社会的思想が広がるかも」という話。
原因については敢えて触れませんでしたが、まあ国の舵取りが悪かったと指摘されている著名な方も多く、実際に頷けてしまうところもあると言うのが反社会的思想が増えてしまうことについて無念なところではあるのかもしれません。
ただSNSのコミュニティ形成の側面が悪い方向に作用してしまっていることも残念ですが、事実として国の舵取りが悪かった可能性を言及し始めるともう仕様がないのですね。
より一層、社会的-反社会的の線引きが曖昧になり、危険思想に脱線していく人が増えていきます。
ここで「仕事の本当の意味」について触れてみます。
仕事の本当の意味
なんのために仕事って、そりゃ生活費を稼ぐためだろと言う人もいるかもしれません。
が、1億、10億、100億お金を持って
いや、もっと少なくてもいいかもしれません。
もう自分はこれだけあったら、仕事をしなくていいかな。
と言うぐらい満足な資産を持った時、
じゃあ仕事を辞めるのか?と言う話で、僕はそんなことはないと思うのですね。
結局のところ、仕事というのは人生における最も身近で健全な社交活動で、
それを一切辞めるということは、社会的な活動から離れるということに近似できるかと思います。
じゃあなんのために社会と接点を持っているのかという話でして、
それは個人的な範囲での興味や目的等もあるでしょう。
ですが結局その範疇しか頭にないと、本当に「自分一人しかいない世界のための、自分のための活動」になってしまいます。
それだけのために社会と接点を持っている人っているんでしょうか?いるのだとしたら僕はサイコパスだと思います。
少なくとも、仕事というのは人や社会のために存在していますし、患者や顧客がいるから成り立つのです。
そして、なぜそのサービスを提供するかといったら、その報酬により自分を満足させるためだけではないはずです。
患者や顧客が良い方向に進むためにサービスを提供するのではないでしょうか。
仕事とは本質的に何なのか?
何のために動いているのか?
これについて「社会を皆んなでより良くしていこうとする動き」が仕事の本来の姿、健全な見方なのではないかと思います。
国沈没論との矛盾
ここで、国沈没論が無闇矢鱈に唱えられたり、反社会的な思想を持った人のコミュニティ形成が促進すると、「社会を良くしようとすること自体を諦める」人の数が増えていくことに繋がっていきます。
日本社会をより良くすることを諦める。
それってどういうことか?
この日本において仕事をする意味がなくなるということです。
というか、自分で自分の仕事をする意味を無くしている、薄めているともいえます。
社会をより良くしていこうとするモチベーションさえなくしている状態とも言えます。
興味深いことに、医療者の中にもこういった方は増えてきていると思うのです。
医療者がこのスタンスになるとどうなるか?
究極的に言うと患者のことをよりよくしようと思わなくなるのです。
それって倫理的にどうなんでしょうかね?という話ですが、現実としてそういう動きが散見されます。
具体的にどんな行動がそれにあたるのと言う話は伏せさせていただきますが、それが割と一般的に目に触れるのが日常化するレベルにまでなってきている印象です。
「そういった動きが目に見えて露見している、そういった動きに誘導されやすくなった」これらも実はSNSがもたらした現象なのかもしれませんね。
全体を俯瞰すると、医者としてモチベーションを保つのが難しい時代
全体を見てしまうと、国は沈み、反社会的な思想の人は増え、間違った医療情報はばら撒かれ、それが常に目につき...
自分の経済状況も相対的にいまいちになっていくことを考えると、医者としての仕事のモチベーションを保つのは難しくなっていくと僕は予想します。
これからの医者というのは僕はそんな時代の中で葛藤しながらやるものな気がしています。
苦しくなっていく中で葛藤して、自分なりに医療との距離感を測りながら自分のやれることをやる、そんな時代な気がします。
(葛藤?いや、そんなことをする必要はないのかもしれない。見えないところに置いておくことができるのなら)
確かに、多くの著名な方が言うように日本の経済指数も悪い方向に行っていますし、その裏付けもあるのかもしれません。
日本が沈没していくのも確かなのかもしれません。
ですが、だからといって反社会的な方向に行ったり、社会をより良くしていこうとすることを諦めてしまうのはやめた方が良いという予感がするのです。
日本に対して、もう完全に諦観のスタンスを取る。
それをしてしまったら仕事の意味も、社会に健全に参加する意味も無くなってしまうような気がします。
著名な方も合理的っぽく解説されている方もいるので、そういうスタンスに着陸したくなる気持ちもわかりますが、
国の方向性に関する長期的な理屈と、自分が社会で何をやるかなどの気持ちはあまり混同するものではないのではないか、と最近は思うのです。
SNSをみていると、悲観的な気持ちを煽るものが多いので、こう言った記事を書いてみました。
終わりに
なんか適当に書き連ねようと思っていたら、割と長くなってしまった。
おやすみです。