Google Analyticsを見ていて思いましたが、だんだんとこのブログに訪れる人が増えてきているみたいですね。
来て頂いてありがたいと思う一方で、こんな粗雑なブログでやや恐縮な気持ちもあります。
半年で大体の人がブログってやめるんだっけ?
そう考えるとまあのらりくらりとやってきたのかなぁ。
さて、今回はちょっとブログというものと、収益化やお金の話をして見たいと思います。
前半ちょっとだけネガキャンしてますが、後半はポジティブな感じです。
収益化を考えなくなった現状
ご存知かもしれませんが、ブログには資産形成の側面があります。
一旦良いブログを作り、評価され、人が集まれば広告などでお金を得るシステムを作れるからです。
僕もこういったブログの面に着目していました。
お金を得るということが目的だったというよりかは、純粋に読んでくれる人がいて、誰かの為になって、それが報酬としてお金を生み出してくれる。
そういったことへの純粋な興味でした。
「まあ〜多少なりともお金が入って来たら嬉しいよな〜」
それぐらいの気持ちで収益化もブログを始める理由に入ってました。
でも、このサイトに来てくれる人が着々と増えていく一方で、一時期から収益化への興味はだんだん薄れていきました。
収益化をあんまり考えなくなった理由
本業で稼げているから
そもそもの話になりますが本業(医療)の方で経済的自立の軌道に十分乗っていたこともあります。
少なくとも「お金のためにガツガツブログをやらなきゃ!」という気持ちはありません。
(以前は毎日更新だ!と意気込んでいた時期もありました)
Google AdSenseを貼ったのは残していますが収益化という点ではわりと冷めたポジションにいます。
そう、ブログを通じて収益を得ることによくも悪くも冷めてしまったんです。
それは収益を得ようとする過程で気がついたことがあったからです。
収益化を意識しすぎると失っていくものがある
収益化を意識しすぎることの弊害ともいえます。
収益化を急ぐと人が嫌なことをやらなきゃいけなくなると思ったのです。
それって「誰かを手伝うために記事書いてんのに、気持ち的に反対の行動じゃん」と。
広告が好きな人なんていない
広告なんてまさにそうです。
広告というものを好きな人っているんでしょうか。
まあ、世の中広いんでいると思うんですけど、YouTubeとかみていていきなり広告出てくるのとかって観たいものへの中断でしかないですよね。
YouTubeの広告
YouTubeの広告の話を少ししてみます。
YouTubeに広告は以前はありませんでしたよね。
それが最近になってYouTubeがテレビのようになり始め、広告の時間もどんどん伸びて、数も一個から二個へと、そして動画の途中にさえ出てくるようになりました。
1つの広告でさえ、あんまりいい気がしないというのに、まさか連続で出てくるなんて。驚きませんでしたか?
これの解決案として、YouTubeプレミアムという有料登録をYouTubeは用意しました。
「お〜!これで広告から救われるじゃん!」と一瞬だけ思いましたが
ちょ待てよ。
この流れって、ちょっと正直いやらしくないでしょうか。
だって広告というものを疎む人が過半数ならば(あくまでこれは推測ですが)、広告を疎む心理を利用して、YouTubeプレミアムへ誘導しているともとれるからです。
結果的に、収益化と引き換えに、Youtubeには不快感というものが加えられることとなりました。
まあ、確かに広告費によって事業は拡大して、よりよいサービスが作られていくという見方もできるけどね。
ただ、個人的には「あ〜、これが(広告で)収益を求めていくと起こる末路の一端なんだろうな」と感じました。
短絡的な発想かもしれませんが、お金を儲けることを考えると、やはり人に嫌われることを少なからずやっていかなければならないのかな、と。
ブログで考えてみると
飛躍かもしれませんが、人に疎まれることという点ではブログでの広告やアフィリエイトも似ています。
広告や製品、サービスに誘導するような記事になり、そこには大なり小なり「押しつけ」が伴います。
いやそれが本当に推したい!という商品やサービスならいいです。
でも、それが毎日ポンポンポンポンでてくるっておかしいでしょ。
しかも、YouTubeと違ってブログの作業はあくまで個人規模です。
YouTubeであればその資金を優良なサービスの提供とかに繋げるかもしれませんが…
個人で得たその収益って人に与えられるものとしてどれほどの価値を持つのでしょうか。
その収益は、人に不快感を与えてまでしてでも得るものなのか?ということです。
コンテンツに本来、自分の利益を求める気持ちを表す必要はない
収益化を目的とするしないに関わらず、ちょっとでもコンテンツや記事を作った人ならわかるはずです。
そもそも記事やコンテンツは「人を手伝いたい」「何かを伝えたい」という視点から生まれていくものです。
記事を作っていく以上、読み手を多少なりとも意識します。
どうすれば、読みやすいのか、とか。
どうすればいいたいことが伝わるのか、とか。
(まあ、このブログの作り方がうまいとは全く思いませんが笑)
そういった工夫の中に、広告というものは景観や見易さを崩す以外の何物でもなく、本来であれば入り込む余地はありません。
紙の本を読んでていきなり広告でてきたら「え!これなんなん、必要ある?」って思いますよね?
人はなぜ広告を貼るのか
じゃあなぜ広告を貼るかというと、当然、収益を強く意識しているからです。
それ以外に広告を貼るきっかけはきっとありません。
それで、収益化を意識しすぎるとおかしなことがおきていってしまうのです。
収益化に関係していそうなおかしな現象を見てきた
収益化を通じて感じた違和感は、広告だけに限りません。
ブログ運営を続けていく上で、収益化を意識しておかしくなっている現象を多く見て来ました
例えば、タイトルや目次に対する内容の不一致、文章構成の不自然さ。
これは、文章能力が〜とかっていう話をしているんじゃありません。(僕もないし)
「上位表示であるけれど答えがとてもわかりづらい、解決もしづらい」
「おすすめの本として推奨されているけれど、得たい答えは載っていなかった」
たとえ知りたいことが載っていたとしても散文化していてわかりづらかったり、と。
ある本がおすすめだと紹介されていたり、あるコンテンツが上位表示されることによって、確かにその本や記事に出会うきっかけにはなったんです。
しかし、せっかく探したのに、肝心要の知りたい内容が記載されていなければ裏切られたような気分や、その時間はなんだったんだろうという気分になります。
この『有名(上位表示)だけど中身がそんなに伴っているとは思えない現象』は
「こういうタイトルなら売れるから」
「こういう見出しなら人は食いつくから」
「こういうタイトルなら上位表示されるから」
「こういう知識を網羅的に書けば出店者に評価される」
集客のテクニックを利用するために、コンテンツの中身とタイトルのズレを許容しなければいけないからなんじゃないか、と僕は考えました。
これはコンテンツの作り手の視点が、読み手→Googleや販売元などの商品を展示する側→ひいては自分と移っていった結果じゃないでしょうか。
そして、そんな行動をさせている中心の1つにあるのはやっぱり収益化だと思います。
収益を得たい気持ちより優先すべきもの
ここで自身を振り返ってみた時
収益を得たいという気持ちより、自分がこうありたい、人にあまり不愉快な気分を味わってほしくない気持ちの方が勝りました。
だってそれが逆転してしまったら
「人を手伝いたい」だとか「こんな記事やモノがあったら誰かが喜ぶかな・・・」という、コンテンツや記事を作る上で大切にしている気持ちが曇ってしまいそうだからです。
自身の精神衛生、そして、ブログ運営というものを長期的に捉えた時、人に何かをそんなに押し付けてまでやっていくことは逆効果なのでは?
そんな作品を作ることのためにこの短い人生の時間を割いていくというのは、どんな価値があるのか?
そんなふうに思い、収益化にがっつくスタンスはとらないでいます。
収益化でもし苦しんでいたり、奮闘しているなら、こんなことを伝えられます
あなたはこの記事にたどり着いたのなら、もしかして、収益に関して悩んでいるのかもしれません。
でも、だからこそ上記のことを踏まえてこう言えます。
ブログは収益にとらわれず、自由にやっていくのもアリじゃないでしょうか。
2021年1月の時点でこのMatsuki Blogは半年ちょっとしか運営されておらず、半年しか僕はブログの経験がありません。
ですが、ブログは収益化の視点以外にいろんなことを教えてくれたと思います。
その魅力を今から少し載せてみます。
ブログの面白さや魅力は・・・
問題解決のために情報収集したことが自分の役に立ち、読んでくれた人のためにもなること
解決方法を探していくにあたって、時には本を何冊も読んだりします。
世の中に何かを提示するぐらいならこれぐらい本を網羅していく必要があるって気持ちでね。
そして、その中でまた発見があったり。
さらにそれを深掘りする。
それってすごい自分にも役にたつんですよね。地肉になるというか。
作った時のやりきった感
記事を書き込むまでに葛藤が少なからずあったりするんですよね。
僕が効率悪いっていうのもありますが・・・笑
こんな記事でいいんだろうか?
他にもっとストックがあったなあ、そっちはどうだろうか。
え〜い、見切り発車でいいから乗せてしまえ!笑
そんな試行錯誤をしながら笑
また、自分自身で何か案を出して、実際にやりとおすまでの過程で、自分自身がどういう人間なのか、どういう性格の持ち主なのか、自然とそんなことが分かってきて、受け入れるようになっていきます。
そういう小さな葛藤を乗り越えて、1つ記事を書いた時は達成を感じることができます。
※見直しも大事です
世の中に何かを打ち込む感覚
コンテンツを作り、発表するという経験はふつうに働いている以上、なかなか得られない経験です。
創作系の喜びを教えてくれる人は日常にあまりいません。
ブログでのアウトプットは、他のSNSと比較して作品を打ち込んでいる感覚が強いと思います。
それは、作り方が比較的自由であること、多くの人が使うGoogleという検索の結果として表示されることなどからです。
自分のお店を作って、そこにぽんっと商品を置いてみる感覚に近いです。
これは、日常であまり味わうことができないワクワク感を与えてくれます。
【一番大事】あなたの人生の軌跡を残しただけでもう十分価値がある
例え、収益化なんて目指さず、上位表示もされなくてもあなたが誠心誠意作ったコンテンツはいいコンテンツなのではないでしょうか。
別にGoogleの検索結果に表示されることがコンテンツの優劣を決める全てではないでしょう。
内容を伴わない上位表示の記事やベストセラー、おすすめ本が存在している限り、必ずしもGoogleに認められたから良質なコンテンツではないということです。
大事なのは、あなたが何か乗り越えたり、困った経験を書き残すことが、他の人に与える何かになるということ。
そこから人と人がつながっていくこともあると思います。
そして、それを収益化や押しつけなんてもので邪魔されるのであれば、無粋でしかない。
むしろ、作る過程で得る経験や知識自体を楽しむ方が、長期的に見たら大事なのでは・・・と。
収益を得ること自体を否定するわけではありませんが
僕はブログの収益化を目指し、収益化に冷めていった経験から、それを伝えたいのです。
記事の最後に
長い記事となってしまいましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
まあ、結局何が言いたいかっていうと
収益化もいいけど自分なりに楽しさや魅力を感じて、ブログを長く・継続して運営していくことも大事なんじゃないでしょうか。
もし、毎日更新だなんだと疲弊している人がいるのだとしたら、肩の力抜いてやる道もあるよ!
ということです。
あなたのブログの収益化に際して、こんな葛藤をした人がいたということが何かの役に立てば僕は幸いです。
今回は以上です。