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「お金も女性も、世間体も」は不自然であると思う理由

 

〜女性も、お金も、世間体も。そんなのは『無理』です〜

 

こんにちわ、マツキです。

過去の自分へ。

そして、欲張りかも知れないあなたへ。

こんな記事を書いてみました。

自分の経験談と本からの内容をソースに書いていますので、気を悪くされる気配を感じたら、そっと画面を閉じるようお願いします。

 

「お金も女性も、世間体も」は不自然であると思う理由

 

これまた医者の話につながるのですが。

 

 

医者という道。

その中には辛いことも多いだけでなく、やっていけば享受できるメリットがたくさんあります。

それはお金だったり女性だったり(ぶっちゃけ)

はたまた職場での評価、名声だとか。

 

そういった得たいもの。でも、たった一つの職業でそれら全てを手に入れること、それ自体が不可能、というか不自然である。

最近そういう考え方に僕はシフトしてきました。

医者になっていろんなもの手に入れたいとかいう人、多分いるでしょ?

 

このブログでいくらか繰り返していますが、医療だろうが医者だろうが、仕事は仕事です。

それ以外の何物でもありません。

 

というのは別に職場で同僚やスタッフと仲良くするためにいくのでもなければ、上司のご機嫌を取りに行くところでもない。

医者というワーカーである以上、自分のその日の気分に任せてやりたいことを試行しに行く場でもない。

(こんなことを強調しているのは医学分野は学問的に奥深く、ともすれば、自分の興味と業務を混同しがちなリスクがあるからです)

 

顧客がいて、その人々によりよい商品やサービスを届ける。純粋にただそれだけの場です。

 

それなのに、職場で名声を手に入れたいとか、女性にモテたいとかを付け加えようとするからおかしなことになったり、よくわからない幻想を見始めてしまうのです。

 

おかしなこと、とは

 

おかしなことの成れの果ての一つは他でもない組織への依存です。最悪の場合、無自覚な。

 

何か自分がしたいことを職場から派生させようだとか、職場で試行しようとするから、人生職場ありきの話になってしまうのです。

 

例えば、お金を得るなら昇級して…とか、女性にモテたいなら人当たりを良くして…とか、世間体のために飲み会に参加して…とか、言いたいことを我慢して、とか。

 

それ、職場でやらなきゃだめ?

別にやるのは構わないと思うんですけど、職場でやろうとしている仕事以外の試行は果たして職場内でしかできないものでしょうか?僕は少なくともそうは思いません。

 

今や自分がやりたいことというのは、職場以外で済ますことができます。

そんなにお金を得たいのなら副業でもバイトでも始めればいいし、女性にアプローチしたいならマッチングアプリでもどっかの飲み屋にでもいってナンパでもすればいい。

pairsでも東カレでもいくらでもあります。

 

にもかかわらず、職場で自分が得たいことをまとめて得ようとすると、どんどん職場にいなければいけない理由が自分の中で増えていく。

 

辞めた際に失うものを考えてしまうのです。

 

上司や同僚に気に入られようとすることも同じです。

人と上手くコミュニケーションをしようとすることや理解し合おうとすること。

 

それ自体が悪いことだとは全く思いません。

ですが、それも行きすぎると自分にとって本来必要のないストレスになります。

 

対人コミュニケーションにおけるそのストレス、本当に生じて仕方がないものでしょうか?

勝手に相手を慮って、一人で勝手に苦しんでいるだけではないでしょうか。

また、どこか嫌われたくないだとか、相手からいい印象を持たれたいと思っていないでしょうか。

 

そう思う理由はもしかしたら。

それは、相手からいい印象を持たれておけばきっと良いことがあるだろうという、ある意味で「下心」ではないでしょうか。

 

僕が思うのはその下心はなんのためにあるのだろう、仕事を行うという一点においてそれは必要だろうかという素朴な感情です。

 

業務以外の会話についてもそうです。

おしゃべりをする時間があるぐらいなら、その時間にやれるだけのことをやって仕事を早く終わらせ、友達とでも飲みにいけば良いだけの話です。

仕事内でわざわざ「人と話したい」という欲求を満たそうとすると、業務時間がかえって膨張します。

 

かくいうのは、僕は職場である程度嫌われてもいいんだというスタンスをとることにより、働くことがずっと楽に、気楽に仕事ができるようになったからです。

 

むしろ、仕事内容に集中・没頭することができ、その仕事の社会的な意味など本質的なことについて考え、気が付きやすくなりました。

以降、職場でのコミュニケーションというのは本当に最低限しかとらなくなりました。

取れば取るほど、業務からの意識は逸れますし、相手の時間も奪うことにつながります。

 

憧れだった先輩とは逆の方向へ

 

「冷たいやつだな」という印象を持たれるかも知れませんが、以前は全く逆のタイプの人間でした。

以前、僕が尊敬していた職場の上司がいたのですが、そのひとはとても人当たりが良くて、快活、仕事もテキパキできる人でした。

 

一緒に働くならああいう人がいいし、あんな人を目指したいと思い、そうなれるよう努力していました。

ですが、あるところで「あ、自分には無理だな」と思ってしまったのです。

努力している過程で、仕事でのコミュニケーションもわりと円滑でしたし(多分)、そこまで悪くない見た目からか女性からのアプローチも増え、自分の承認欲求はそこそこ満たされていきました。

ですが、それらを満たすためにはその職場にいる必要があります。

 

そして、残念ながらその職場の労働環境には僕はいたくなかったんですね。

所詮人間は環境には勝てない、自発的に環境を取捨選択していくべきだと考えていた僕にはそこが合わなかったのです。

そうなると、それまでの対人関係における努力はなんのためにあったのかというと、結局仕事以外の目的のために取り繕っていたなあと感じざるを得なかったのです。

 

自分のやれる限りはやっていましたが、人の目を気にして生きた分、自分が提供する仕事自体にそこまで目が向いていたか、今となれば疑問です。

仕事の業務に本来費やすべきエネルギーが他に分散されていたような状態だったと言えます。

これはあまり良い状態とはいえないですよね。

 

記事の終わりに

 

別にお金も女性も、世間体も、自分が望むものを得ようとすること、その気持ち自体は悪いことでもなんでもないです。

時として大きなエネルギーになりますし、それ自体はむしろ自然とすら思います。

でも、それをひとつしかない職場や職業に持ち込んでしまうと、自分から窮屈になってしまう道を選ぶことにつながるのでは?という話でした。

 

散文で申し訳ないですが、今回はコラムっぽい記事でした。

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

今回の記事にあたって参考にした本はこちらになります。

よかったら読んでみてくださいね。

それでは以上です。

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